会社員から新規就農への道

昨夜から今日にかけて、凄まじい暴風雨でした。
農家をすると当たり前のように天候に敏感になり、こんな時はやっぱり心配になります。
さっき畑を見に行ってみたら、予想以上に畑からの水は引けてて安心したけど、一部の畑はがっつり浸水してたし、トマトの苗は風にやられてしんなり・・・

熊本であった震災(被災者の方、お悔やみ申し上げます)の物質的・人的損害は強烈やったけど、それも地球規模でみると単なる小さな小さな営みなんろうと感じる。
今日の風と雨なんかアクビぐらいのもんやろなぁ。

人間ってつくづく無力やなぁって思う。
人間が地球上に存在してることなんか、地球からしたら蟻が群れて巣を作ってる規模なんやろなぁ。
地球の中の人間、その中の一つにしかすぎない自分ってなんやろうと思う。

・・・

高校、大学と普通に進学した自分は、大学卒業とともに大阪から上京してサラリーマンを始めた。
そんな人生の道筋は、周りのみんなも当たり前に選択し、また社会が薦めるレールでもあり、「これでホンマに自分はいいんか」という疑問を心の中に持ちながらも、他の道を選ぶ勇気も行動力もなく、結局自分も同じ選択をした。

それは当然やと思ってたし、みんなと同じで安心感もあった。

心の中に持っていた疑問は、社会を知らない若者がよく抱く些細な反社会的感情で、それは社会を経験して大人になれば解消する、という心の変化をもしかしたら当時の自分は期待してたのかもしらん。

社会人生活は、初めて東京暮らしをして、同期が70人近くもいて、会社の先輩もほんとに人が良く、学ぶことも多くて、最初の3年間は特に充実した日々を過ごせたと今でも思う。

でも入社前から感じていた「これでいいんか」という疑問は、蝋燭の火のように心の奥深くでずっとくすぶっていて、日々の充実感は持ちながらも、家まで帰る道のりではどこか焦燥感を抱き続けてた。

社会人3年、4年と経過すると、与えられる役割が大きくなるにつれて新たな遣り甲斐も生まれ、焦燥感が小さくなったときもあったけど、それは消えずにずっとあった。

5年経過した頃から退社しようという思いがグッと強くなったけど、進むべき道も決めきれず(この頃はセミナーに参加したり勉強したりホンマ色々と模索してたなぁ)、
その間に別会社へ出向になったり、元の職場に戻ってから新入社員の教育係を担当させてもらったりしてると、いつの間にか忙しなく毎日が過ぎていってた。

2011年9月、8年半勤めた会社を卒業した。
この時32歳。

今考えたら、この歳で良く辞めれたなぁって思う笑。

退職時に尊敬する先輩から頂いた言葉を、昔の日記から思い出し、素晴らしい先輩や同期に恵まれてたなぁと改めて思う。
I believe everything will be all right for you.
Just believing yourself and go for it.
When you settle down, let’s dine with me.
Thanks for everything for me such as stimulating, being cozy, relaxing and and and….Take care.
なんで英語やねんっ…笑、でも暖かくて嬉しい。

ちなみに、今まで細かい後悔はいっぱいあるけど、人生の道という大きな枠組みでみたら後悔は一回もない。
だから会社員として8年半勤めたことも良かったし、辞めたことも良かったと思ってる。

退職後はカンボジアに行った。

その頃、社会貢献(今考えると自己顕示欲や自己承認欲の一種なのか)というキーワードに強く引かれ、今まで何度も訪れて心引かれるこの国で何か手助けとなる起業をしたい…という、かなりぼんやりした…でも懸命に考えた選択でした。

退職日の翌日に大嫌いな飛行機に乗り、カンボジアを少しの縁を目当てに歩いた。

相変わらず綺麗な笑顔の人が多いなぁ、でも10年前に初めて来たときには想像すらできへんかった、スマホを持ってる人や巨大な建物が増えてるのを目前にし、あぁ大きな経済発展の渦を迎えてるなぁというのが、まず始めの実感やった。

その次に、会社員時代はその仕事がある程度できるようになってたから、自分は何でもできるいう自信を思ってたけど、実はその職種以外、だからほんまに限られた一部のこと以外は何もできへんし、知らんということが分かった。
この事実はかなりのショックで、今考えると勘違いしてた自分に笑けるねんけど、とにかく途方もない無力感を感じた。

そんな中でも、なんでこの国にそんなに引かれるのか、会社を辞めてまでここに来たのかと思っていたところ、宿のオーナの息子がテレビを見てて(確かアンコールワットを建設したスーリヤヴァルマン2世の演劇やった)、
それって面白いん?って聞いたら、目を輝かせたその子から、めちゃくちゃ面白いって答えが返ってきた。

カンボジアで過ごしてて薄々感じてはいたけど、この子のことが自分の道を標す特徴的な出来事になった気がする。
その国やったりその伝統やったりその自然やったり、そんな身の回りに当たり前に落ちてるようなことを、きちんと自分自身の中に取り入れて、笑顔で気持ちよく暮らしたい。
経済的にはグローバルという流れが凄いけど、外ではなく中のことを学びたいし、近づきたい。
幸せや豊かさって、次の世代に自分が残したい物って、そんなとこにあるんちゃうかと心の芯に響いた。

東京に帰ってきて、縁があって国立市にある古民家「やぼろじ」に出入りするようになってた。

古民家やぼろじは、その当時、建築士、大工、グラフィックデザイナー、大学の教授がシェアオフィスとして使っているコミュニティースペースで(今ではもっと色んな人が関わっている)、そんな素敵な場所を拠点として様々な職種の人が集まってきているのを体感し、1社会人経験しかない自分は、そこに色んな可能性を感じてワクワクした。

やぼろじの事務局を手伝いながら、古民家の母屋で開店することになった「やまもりカフェ」の立ち上げも手伝わせてもらうことになった。

実は、8年半勤めた会社を辞める際に、その理由を人事担当者に聞かれたときに、社員食堂は見た目や低価格だけじゃなく、社員の健康面を本当に考えたメニューや食材にして欲しい、と言ったことがあった。

これはもちろん本質的な辞める理由じゃなかったし、社員にも色んな事情や価値観があるからそれはあくまで自分の願望やったけど、体のことを考えたきちんとした食事、というのにはいつからか強い興味を持っていた。

だから、やまもりカフェを運営する「株式会社やまもり」の理念にも強く共感したし、心底応援したいと思った。

今考えると、ここでの活動が貴重な財産になっていて、いつも心でこっそり感謝してる。
それは、ここで出会えた人や学べたことがめっちゃ多かったのと、そして何よりやまもりカフェの仕事を通して、農家という選択肢を選べたから。

食材にこだわりにこだわるカフェで有機農家の野菜を仕入れることになり、その流れで山梨県北杜市の若手農家さん「のらごころ」と出会うことになった。

野菜のことを全然知らない僕は、農家さんの下に毎週も通わせてもらい、農家の仕事や野菜という命に大きな価値を感じるようになっていった。

以前会社を辞めようと考えてたとき、自然に近い仕事という発想から、wwoof(World-Wide Opportunities on Organic Farms)を通して農業体験させてもらったことがあった。
会社の連休を使って何泊か農家さんと一緒に作業させてもらったけど、暑い夏場に加えてあまりにハードすぎる作業やったから、そこで農家の選択肢は途絶えた…苦笑、という経緯があり、それ以来農家は超大変という先入観ができあがってしまっていた。

けど、のらごころのメンバーは、会社員経験を得てから新規就農者になっている人も多く、自然や昔の暮らしを尊重している姿、食を大事にしている姿、自分の道を切り開いている逞しい姿に触れる内に、そういった生き方は理想じゃなく現実として感じるようになった。

最初は野菜のことを知りたい、農家の野菜作りへの想いを知りたい、というだけやったのに、いつの間にか奈々と一緒に農家の道に進むことになり、2013年10月以降は過去のブログであるように研修先や移住先を探す旅に出た。

研修先を探すといっても、農業のことをあまり知らん二人…どういう栽培方法で、どういう品目を作りたいという決まった
ものはなく、僕自身は自然に負荷が少なく、自然のことを尊重できる、かつ勉強するなら大規模経営が良い、というぐらいしか想像できていなかった。

その道中の徳島県で、無農薬、無肥料で栽培する「若葉農園」との衝撃的な出会いがあった。

無肥料・・・化学肥料はもちろん、有機質肥料(鶏糞や牛糞など有機農家が使うもの)すら施さない。
憧れはするけど、農業として継続営農していくのは無理、せいぜい家庭菜園レベル、という考えを一掃する若葉農園の経営規模と、社長夫婦の熱い想いに触れ、ありがたくもそこで研修させて頂けることになった。

そして無事1年2ヶ月の研修を終え、2015年6月に静岡県南伊豆町に移住してきた。

移住当初は家の改修に手一杯で、畑の準備のための耕作放棄地の開墾をスタートしたのが8、9月ごろ。

移住してきて10ヶ月半、農業を始めて8ヶ月が経つ。

 

今思い描いていたような暮らしができてるし、苦戦しつつも農業の成績も悪くない。

夫婦仲もいたって順調笑。むしろ寂しい田舎の中で協力しつつ在る家族というのは、自然にその絆も強くなる。

薪や野草や果樹といった豊富にある資源の利用方法や調達方法にも少し慣れてきた。

真っ暗闇で虫や川の音しかない寂しい夜も、快適に感じるようになった。
むしろ今までが他の雑念や騒音やネオンに誤魔化されていたことに気づき、今やっとシンプルに物事に集中できている気がする。

家の前にただ広がる里山に身を包まれ、自然の驚異に簡単に晒される農業をする日々の中では、人間の独りよがりは通用せず、地球にただ身を任せるしかない。

だから地球規模でいくと人間はちっぽけで無意味だという気がする。
そのことは空しいという虚無感を育むのではなく、むしろ実態としてそうあるのやろうから、そう考えると心持ちがスッキリする。

あっちに行ったりこっちに行ったりしながら辿り着いた道やけど、都市にいる大きい人間から田舎にいる小さい人間になったけど、今が人生で一番満たされてる。

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