高齢化社会って寂しい別れの連続やった

近所に住むおじいちゃんが亡くなったので、昨日一昨日でお通夜とお葬式がありました。

おじいちゃんは仕事を退職してから家庭菜園をしてたので、畑仲間(と言っては失礼かもしらんけど)のような感じで、よく野菜のことで話をしてもらいました。

闘病してたのは知ってたし、退院してからも通院や入院を繰り返していて、最近病状が芳しくないのはおばあちゃんから聞いてました。

次はおらの番だぁ

と、何かの折に言っていたのが印象的で、確かにこの組(集落の一つの単位)で一番高齢やけど、80をゆうに過ぎてもまだまだ畑もしてるし力強い方でした。

多彩な方で、現役時代にも色んな仕事をやった上に、趣味の釣りもすごかったらしいし、家庭菜園でも立派な野菜を育てられる方でした。何でもできる田舎の人というイメージが強くて、普段は気さくに話すけど、心のなかでこっそり尊敬してるおじいちゃんでした。

集落に関してめちゃくちゃ大雑把に説明すると、うちの集落を地理的に4分割してそれぞれが組という単位になってます。

組には20世帯ぐらいあるんですが、近所同士になる組単位で普段活動する機会が多く、なので通夜や葬式があるときも組単位で助け合うのが習わしになってます。組の中で受付や会計などの役割をしたり、呼び使いといって、訃報の連絡を集落各家庭に知らせに行く仕事をがあったりします。

↓写真左のお知らせを、右の各家庭に直接持って挨拶に行くのが呼び使い。

僕がいる組は特に高齢化が進んでいるので、機動力のある人がめちゃくちゃ限られてます(移住者がメインになりつつあるぐらい)。。。なので、今回、僕は通夜・葬式の受付と呼び使いをしました。

ちなみに、同じ組の人がなくなった場合、通夜葬式ともに各家庭一人は出席する習わしになってます。これを面倒だという人も実際いるんですが、僕は、お世話になった方へのお返しだったり、大切な人の死に直面した家族の方々へのサポートができたりするので良いなぁと思っています。

やけど、やっぱりどんどん人がいなくなってしまうのが寂しい。

もともと人が少ない限界集落みたいな場所。一人一人が大きい存在になっているので、その一人がいなくなるっていうのは、たった一人でも心に大きい穴が開いたような感じになる。

移住してきてたった7年やのに、これまで同じ班の中でも何回も分かれがありました。

高齢化社会って、僕たち世代からすると、高齢の方から色んなことを教えてもらえる最後の世代でもあり、沢山の方を見送らないといけない寂しい世代なのかなぁと思う、

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